私はギャンブルに関して多くの方がやられている、パチンコ、スロット、競馬、競艇などは一切やったことはありませんでした。しかし高校時代に父親が昔から麻雀をやっていたこともあり、パソコンに入っていた無料の麻雀ゲームをやりながら簡単なルールなどを教えてもらい覚えてみることにしました。
ゲームでやる分には特にお金をかけることもないので、テレビゲームをやるような感覚でやっておりました。
そして高校1年の時に働いていたコンビニで夜勤で勤めていた20才の先輩から、麻雀ができるなら今度家でやろうと誘われました。まだ若かった自分からすると、ゲームではなく実際に卓を囲んでやることに大人への一歩のようなものを感じ、喜んで行きました。
実際に初めての麻雀はゲームとは違い、ルールもあまり理解していなかった私はチョンボなどを繰り返しカモにされ、その当時大してお金もバイト代くらいでしか稼いでなかった自分からすると、当時5000円ほどの負けはとても大きかったです。
それから、麻雀は回数を重ねてもっとルールとか学べば上達すると言われ、ゲームセンターで麻雀格闘倶楽部というゲームでお金を使いながら覚えていきました。ある日父親が友人と打つ際に人数が足りないから、メンバーに入れと言われ、高校生で初めての雀荘ということもあり、また喜んで行きました。
当然負け分は父親が負担と言うことで、ゲームでやりこんだこともあり、どれだけ成長したか見せてやろうと意気込んでいきました。しかし結果はほとんどラスを引く状態で、振り込むばかり。長年フリーで打ってきてた人を相手には手も足もでませんでした。
その晩父親に、麻雀は運もあるけれど算数のようなものだと言われました。ルールも役も覚えてましたが、確率論や牌効率と言われるような言葉を聞いたことがなく、その2つが本気でやるには必要だと言われました。
まさに麻雀のプロにでもなろうかというような意気込みで書店で麻雀の本を買いのめり込んで行きました。勉強もせず麻雀にのめり込んでいくうちに、高校の友人宅でやる麻雀、始めてた頃カモにされていたバイト先の先輩にも負け知らずと上達していきました。もっと上手い人と打ちたいということから、高校3年生にもなると、学校終わりに制服から私服に着替え、制服を駅のロッカーに預け雀荘に入り浸るような生活をしていました。
負けることもありましたが、その時は強い人と打てることと、高校生なのに雀荘で大人と打ってるという、周りとは少し違った生活に何か幸福感を覚えていました。
大学に入ってからも友人と打ちお金をもらい、都内の雀荘をフラフラと周り始めるようになりました。
高校3年生から大学3年になるまでに麻雀で買ったお金を別口座に貯めており、気がついたら200万近く勝っていました。
大学3年にもなると就職活動が始まり、周りが就職活動してく中で、もしかしたらプロになれるかもなどと淡い夢を持ち始めました。もちろん両親が許可するわけもなく、麻雀を打つ生活を続けながらも、就職活動をし始めなんとか内定をもらい大学卒業後は普通に就職することになりました。
そして就職してからも、相変わらず仕事終わりには雀荘に行き寝ずに朝まで打つというような、狂った生活になっていました。
就職してから半年ほど、負ける日が続いた時、朝打ち終わったあと焼け酒をして仕事を休むようになり、それが続き仕事が嫌になり辞めるということになりました。
自分自身でも何をやっているんだという自己嫌悪になりましたが、麻雀と酒という最悪のコンビに精神がおかしくなっておりました。
そして当時付き合っていた彼女にそのことがバレると、別れようと切り出され振られるまでに。
仕事もなくなり、彼女もいなくなった時に自分は高校生からギャンブルにハマり何をやっていたんだろうと、急に現実を見ることになりました。
親友からもう麻雀は辞めて、違うことに夢中になれと言われ、麻雀で買って貯めたお金200万を使って海外旅行に行きました。
海外では麻雀より刺激が多く、麻雀以外のことを何でやらなかったのかと後悔の念にかられました。
それからというものの、一切ギャンブルからは引きました。
娯楽でやるのはまだしも、ギャンブルはドップリはまってしまうと人生を狂わしかねない怖いものだと身をもって経験いたしました。
皆さまも気をつけてください。
EL DORADO【オンラインパチンコ】
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ギャンブルヒーロー
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